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旅カフェ日和

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生き様、死に様

2014年の終わりに、私の父が死んだ。

事故で身体が不自由だった父は10年ほど前から特養に入所していた。以前、父に「老人ホームってどんなところ?」と聞いたら「ご飯を食べて、次のご飯までぼーっとするところだ」と答えていて、当時介護士をしていた私は「その通り!」と笑ってしまったものだ。

父は2年ほど前から誤嚥性肺炎を繰り返していた。そのたびに点滴、投薬、検査、時には入院で、もうそれらのことに疲れたんだろうなぁと思う。私と同じで病院があまり好きではなかったみたいだし。

肺炎を患ってから食事がゼリー食に変わり、みるみるうちに痩せて一気に「老人らしく」なってきた。入所時60キロだった体重は、最後は44キロまで減っていた。
でも、もともと丈夫な人で、強運の持ち主でもあった。阪神大震災の時、神戸市東灘区御影の酒蔵で働いていて、酒蔵がほぼ全壊したのに、無傷で帰ってきた時は本当にすごいな、と思った。だから肺炎になっても、きっと大丈夫だろう、と心のどこかで思っていた。
私は息子に夢中だったので、父の病気を気にかける余裕がほとんどなかった。ただ、息子に「おじいちゃん」という記憶を残してやりたいから、父には長生きしてほしい、とどこかで思っていた。

亡くなる前日、40度の熱をだし、たぶん明け方くらいに息を引き取ったんだろうな。朝、特養の職員さんが見に行った時は、もう亡くなっていたらしい。

「死に際に会えなかったのが悔しい」と母はしきりに言っていたけど、そもそも人の死に際ってそんなに見れるものなのかな?
私の知ってる人で、自宅で亡くなった人が二人いるけど、二人とも急逝だったから家族が気付いたときにはもう遅かった。だとしたら、病気の末期などで、常に誰かが付き添っている状態じゃないと死に際ってなかなか見れないのかな。でも、そのような状態で私が本人だったら、衰弱して死に行く自分の姿を家族に見せるのはつらいだろうなぁ。

ずっと昔に自然療法の東城百合子先生から聞いた「生き様は死に様」という言葉を思い出した。

若い頃漁師をしていた父親は、いつも自由な海の男の匂いがぷんぷんしていた。
遠洋船に乗っていたので、ほとんど家にはいなかったけど、たまに帰ってくるといつもお酒を飲んで、海に遊びに行くのが好きな人だった。また、世話好きでまめな人でもあった。遠洋船の上で作った不思議なアクセサリー?を身に着けて「いいだろう、これ」と言いながら帰ってきたり、母にくじらの歯をくり抜いて作った指輪をプレゼントしたりしていた。船を降りて、時間に余裕がある時はバケツ一杯にいかの塩辛とか松前漬けを作って、お世話になった人によく送っていた。

そんな父は、好きなお酒も飲めなくて、海に遊びに行くこともできなくて、働き者なのに働くこともできない退屈そうな毎日とそろそろお別れしたかったんじゃないかな。やっぱり、もっと「生きてる!」って実感できる日々がいいんだろうな。私ならそう思う。
そして、老いて死に行く姿を誰にも見せたくなかったんだろうな。
ひとりで静かに旅立つ準備をしている父の姿が想像できる。

父は肉体という衣を脱ぎ捨てて、自由な魂になったんだと思う。
来世で出会うその時まで、ほんのしばしのお別れ。
でも、父を思えば、いつもすぐ側にきてくれるような気がする。

ありがとう、お父さん。
by tabicafecom | 2015-01-02 23:58 | 日常生活
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